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祟る人ファンクラブログ

15年経っても刑部ラブ
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らくがき 刑部詰め合わせ





鷹視の男

鷹視(ようし)とは凶悪な人相の事です。
初めてテレビで見た大谷刑部は覆面から覗く鋭い目が印象的だったため、
刑部=猛禽の目というイメージになりました。







初代TOP絵






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落書き 刑部と佐吉(石田三成)









当初ブログっぽいののタイトルを
「敦賀名物昆布鍋」にしようと思った、それ用画像です。
福井は越前ガニも取れるので鍋には困らないなあ。
佐吉は鍋奉行してたらいいなあ。






若い頃は刑部がはっちゃけてて佐吉が割を食い、
年食ってきたら立場逆転、そんな妄想。












右から
明智光春所用鉄錆地仏ニ枚胴具足の兜
松平信一所用黒絲威三葵紋柄具足の兜
うんこ貝形の変わり兜




 

賤ヶ岳頃をイメージしてました。
合戦時、刑部は凋落を行っていて遅参したとか
七本槍に次いで働いたとか色々言われていますが
出生説のある余呉湖近くの小谷(おおたに)地区に行ってみましたら
想像以上に賤ヶ岳に近いのです。
がんばれば自転車でいける距離です。
近江の小谷出身説だった場合、確実に土地勘が働くエリアだと思いました。
私見ですが。










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らくがき 大谷一家










一番上はなんとなく梅?とか思って書いてて
結局よく解らん娘になりました。今後色々変わると思います。
次はチビけいまつ、抱えてるのは妹(うちでは小屋)です。






関ヶ原ウォーランドの写真を加工、
アイコンとして大活躍な祐玄坊でした。













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ラッキーストライク






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ラブ(い佐吉と紀ノ)やん

田丸先生の漫画パロです



↑しなくていいよ!

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白頭と少年









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女謙信ちゃん落書きまとめ1



↑最初にタイトルにしてたおなご謙信




  

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毘沙門天 オヤシロサマ の足音がするよ…









実際風当たり強いと思う(景勝の鎧かも)



お正月ネタでした。

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阿虎と愉快なドMたち







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阿虎の部屋 ―はじめに―




最近(※2006年くらい)私が興味を持った上杉謙信のことを書いた部屋です。

今も勉強中のため、イメージがどんどん変遷して行きます。
性別も女だったり、ヒゲ面なのに心だけ女だったり色々です。

女性説を信じこんでる訳ではなく「だったらおもろいな」という
フィクションの範疇で妄想を楽しむ感じです。



不識庵謙信というより
不思議ちゃん謙信



オッケーな人はお進みください。

だめそうな人は逃げてくれー!















脳内謙信第一弾(一番まともなおなご謙信)




  





これまでのあらすじ

1 2006年に能登を旅行中、御陣乗太鼓というかっこいい郷土芸能を見る。

2 発祥に上杉軍が絡んでたので調べてたら「謙信女性説」なるもの発見。

3 退いた。でも恐る恐るみてったら萌えてきた。

4 友達がゲーム「戦国BASARA」の謙信はおなごっぽいという。

5 な、なんだってー!?


*その後一回「戦国BASARA2」友人宅でプレイさせてもらったのですが戦国のゲームをやったのは初めてだったので新鮮でした。
謙信さま素敵ィーだけど操作が難しくて途中友人にパスしました。というか武田であれだけもりあげといて女忍といちゃこらして終わりますか、終わりますか!(笑)


そんで上の絵は感染初期、いかついおっさんのイメージがあったのに知れば知る程まろやか~んなイメージが膨らんで、そのギャップにめろめろしながら描いた最初の絵です。
「所用の服おなごっぽくね?趣味もけっこーおなごっぽくね!?」と、おおはしゃぎです。痛いですね…。
いままで普通に聴いてきたスザンヌ・ヴェガの「The Queen And The Soldier」がなんか謙信っぽくきこえてきた辺りでちょっとやっばいなーと思いつつ、
現在の脳内謙信はもうちょっとくだけて、

↓ むしろ半分壊れかけです。










脳内謙信第二弾(いきなり壊れか謙信)











三大欲求は  酒、イケメン、セレブ

その他好きなもの…神仏、和歌、義経記、きれいなおべべ、琵琶

多分得手不得手がはっきりした人だろうと思う。政治はすごく駄目。アル中ワンマンで人間関係も苦手。すねると家出しーのビシャモン堂ひきこもりーの。
いくさというのは彼or彼女にとって定期的に行うジャイアンリサイタルというか、武士の家に生まれた以上「戦に強い」「立派な武者ぶり」というのはその他色々の弱点をスポイルしうるかなり強力な「威風」というか追い風になりえたのかな、と。
なんとなくの嗅覚だからそのうち「全然違った☆」とか言い出すかもしれないけれど、この人はもしかしたらものすごく自分に内心自信がないんじゃなかろうか。すんごい弱気とか迷いを隠してないじゃろうか。心身ともに充実した人は「アイアムゴッド!」とか極端に宗教に走ったりしないんじゃないだろうか。
あと当時としては普通だったいくさに起因する人買い略奪生産破壊はむしろ奨励していたようなのでこの人の信仰は農民やそのほかの人々は一顧だにしない、ある意味凄く純粋に戦国大名だなと思います。

だから 戦う→ 当面の敵に対して家臣、旗印の下に結束→ 勝利による高揚→ うやむやのうちになんか安心? と言った感じでこの人にとってはいくさとはもしかしたらものすごく魅惑的なイベントだったのかもしれない。

ただそれでも自分を押さえつける箍というか葛藤を感じるので面白い人だな、と思います。絶対この人の部下にはなりたくないですが。現代にいたら宇宙人タイプだ。
でも「とりあえず仮にたてるはりぼて短期政権ってことで」みたいな思惑で家臣に担ぎ上げられたちょっと変人な嬢ちゃんは、寺で兵法習ってたため激強、そして人をあごで使う楽しさを覚えてしまいましたオーマイガッ!ってのもありですか???



 


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3:大谷刑部の家族 その三 祐玄坊クローズアップ

肖像画がまったく残っていない大谷刑部ですが、刑部自身は絵が好きで彼の描いた秀吉像が残っている、そんな話を聞いたら刑部好きとしてはときめきを抑えられないんじゃないでしょうか。
その秀吉像、今何処にあるか…どうも「森脇さんち」にあるらしい。

森脇さんとは大谷刑部の御子孫を名乗られ
「大谷刑部少輔吉隆とその一族   関ケ原戦における大谷吉隆を中心に 」
という本ではなく22ページくらいの資料を自費出版された方だそうで。
自分の知る限りでは関ヶ原の時刑部の首を持ち去ったという説もある彼の甥っ子、祐玄坊について考察してある数少ない資料だと思いました。


内容はご自分の従兄弟であり本家の寺西さんちに刑部の描いた掛け軸があることから入っていきます。(現在「刑部の描いた秀吉像」の古掛け軸は従兄弟さんから譲り受け、著者の森脇家の所蔵とのこと)
そしてこの本では「湯浅五助、刑部の首隠しました説」を否定。
彼はおとりになり、刑部の甥っ子・祐玄坊が関ヶ原から落ち延びて、その首を比叡山の渓広院に持ちこんだと言うのです。
だから刑部の戒名が「渓広院殿前刑部郷心月白頭大禅定門」なのだと。
そして祐玄はその後吉治と共に大阪夏の陣に参戦しているとも。
ここを読んだ時ある本から仕入れた「刑部三人衆」のネタとあいまって(大谷家報告書参照)わたしの頭の中で「祐玄=ファイティング坊主」のイメージが定着。
この本では夏の陣のあとも生き延びた後の経緯も記されています。(細呂木五郎右衛門となのって隠遁、名を道味(どうまい)と改めるなどなど…)

さらに!大谷吉勝=吉治の子が徳川方の家臣に助けられ、その後家人となり徳川方として冬の陣で夏の陣で、父吉勝の味方する豊臣方と戦ったなんていうショッキングこの上ない事まで書いてあります。


◆東京の国立国会図書館に一冊あるこの資料の閲覧方法を書いておきます。
国立国会図書館のHPに行き、あらかじめ詳細を見ておくとスムーズです。
国会図書館は二十歳以上じゃないと入館できません。
さらに著作権法遵守の複写サービスなので「書いた人の死後50年(←たしか)」たった本でないと全文複写は出来ないのです。半分だけです。この本は…ギリギリ?
20歳以上の誰かと連れ立って行き、半分づつ複写していただくなど…ごにょにょ

真偽は不明ながら魅力的な資料なのでぜひぜひ。

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