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祟る人ファンクラブログ

15年経っても刑部ラブ
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3:大谷刑部の家族 その三 祐玄坊クローズアップ

肖像画がまったく残っていない大谷刑部ですが、刑部自身は絵が好きで彼の描いた秀吉像が残っている、そんな話を聞いたら刑部好きとしてはときめきを抑えられないんじゃないでしょうか。
その秀吉像、今何処にあるか…どうも「森脇さんち」にあるらしい。

森脇さんとは大谷刑部の御子孫を名乗られ
「大谷刑部少輔吉隆とその一族   関ケ原戦における大谷吉隆を中心に 」
という本ではなく22ページくらいの資料を自費出版された方だそうで。
自分の知る限りでは関ヶ原の時刑部の首を持ち去ったという説もある彼の甥っ子、祐玄坊について考察してある数少ない資料だと思いました。


内容はご自分の従兄弟であり本家の寺西さんちに刑部の描いた掛け軸があることから入っていきます。(現在「刑部の描いた秀吉像」の古掛け軸は従兄弟さんから譲り受け、著者の森脇家の所蔵とのこと)
そしてこの本では「湯浅五助、刑部の首隠しました説」を否定。
彼はおとりになり、刑部の甥っ子・祐玄坊が関ヶ原から落ち延びて、その首を比叡山の渓広院に持ちこんだと言うのです。
だから刑部の戒名が「渓広院殿前刑部郷心月白頭大禅定門」なのだと。
そして祐玄はその後吉治と共に大阪夏の陣に参戦しているとも。
ここを読んだ時ある本から仕入れた「刑部三人衆」のネタとあいまって(大谷家報告書参照)わたしの頭の中で「祐玄=ファイティング坊主」のイメージが定着。
この本では夏の陣のあとも生き延びた後の経緯も記されています。(細呂木五郎右衛門となのって隠遁、名を道味(どうまい)と改めるなどなど…)

さらに!大谷吉勝=吉治の子が徳川方の家臣に助けられ、その後家人となり徳川方として冬の陣で夏の陣で、父吉勝の味方する豊臣方と戦ったなんていうショッキングこの上ない事まで書いてあります。


◆東京の国立国会図書館に一冊あるこの資料の閲覧方法を書いておきます。
国立国会図書館のHPに行き、あらかじめ詳細を見ておくとスムーズです。
国会図書館は二十歳以上じゃないと入館できません。
さらに著作権法遵守の複写サービスなので「書いた人の死後50年(←たしか)」たった本でないと全文複写は出来ないのです。半分だけです。この本は…ギリギリ?
20歳以上の誰かと連れ立って行き、半分づつ複写していただくなど…ごにょにょ

真偽は不明ながら魅力的な資料なのでぜひぜひ。

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