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祟る人ファンクラブログ

15年経っても刑部ラブ
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ミツドリとイカ刑部




ミツドリ再び

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人物いろいろ


ずっとTOPを飾っててくれた金吾中納言さま





おぎまるかわいいよおぎまる
家康の次男結城秀康(於義丸)
色々気になる人なのですがまだまだ調べ中です。
以前琵琶湖博物館に幼名の元になったなまずのギギを見に行ったのですが
ゲェーッ!?なんだあの一際キモい動きの魚の群れは!!
Σ これがギギかよ!!




1匹1匹はまだキモくないのかもしれません。
普段は違うのかもしれません。
ただ私の時は名づけた家康の悪意を確信するほどのキモさでした。
群れがうねってひたすら腹を見せ付けてきました。
また見に行って確認したいキモさがクセになる魚、ギギ。










秀吉と刑部親子説…うーん…どうでしょう…??


 


























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年賀状とか季節もの



■2004年こんにちは、と2004年さようなら、の絵








■2006年
休止中トップでした









2007年いのしし年
祟る人たち、乙事主さまと刑部です






■2008年ねずみ年
日輪の変わり兜かぶっているのは元ハゲネズミこと太閤様で
左から刑部、謙信、三成、結城秀康です。




■2009年全然間に合いませんでした、牛年















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らくがき 刑部詰め合わせ





鷹視の男

鷹視(ようし)とは凶悪な人相の事です。
初めてテレビで見た大谷刑部は覆面から覗く鋭い目が印象的だったため、
刑部=猛禽の目というイメージになりました。







初代TOP絵






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落書き 刑部と佐吉(石田三成)









当初ブログっぽいののタイトルを
「敦賀名物昆布鍋」にしようと思った、それ用画像です。
福井は越前ガニも取れるので鍋には困らないなあ。
佐吉は鍋奉行してたらいいなあ。






若い頃は刑部がはっちゃけてて佐吉が割を食い、
年食ってきたら立場逆転、そんな妄想。












右から
明智光春所用鉄錆地仏ニ枚胴具足の兜
松平信一所用黒絲威三葵紋柄具足の兜
うんこ貝形の変わり兜




 

賤ヶ岳頃をイメージしてました。
合戦時、刑部は凋落を行っていて遅参したとか
七本槍に次いで働いたとか色々言われていますが
出生説のある余呉湖近くの小谷(おおたに)地区に行ってみましたら
想像以上に賤ヶ岳に近いのです。
がんばれば自転車でいける距離です。
近江の小谷出身説だった場合、確実に土地勘が働くエリアだと思いました。
私見ですが。










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らくがき 大谷一家










一番上はなんとなく梅?とか思って書いてて
結局よく解らん娘になりました。今後色々変わると思います。
次はチビけいまつ、抱えてるのは妹(うちでは小屋)です。






関ヶ原ウォーランドの写真を加工、
アイコンとして大活躍な祐玄坊でした。













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ラブ(い佐吉と紀ノ)やん

田丸先生の漫画パロです



↑しなくていいよ!

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白頭と少年









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3:大谷刑部の家族 その三 祐玄坊クローズアップ

肖像画がまったく残っていない大谷刑部ですが、刑部自身は絵が好きで彼の描いた秀吉像が残っている、そんな話を聞いたら刑部好きとしてはときめきを抑えられないんじゃないでしょうか。
その秀吉像、今何処にあるか…どうも「森脇さんち」にあるらしい。

森脇さんとは大谷刑部の御子孫を名乗られ
「大谷刑部少輔吉隆とその一族   関ケ原戦における大谷吉隆を中心に 」
という本ではなく22ページくらいの資料を自費出版された方だそうで。
自分の知る限りでは関ヶ原の時刑部の首を持ち去ったという説もある彼の甥っ子、祐玄坊について考察してある数少ない資料だと思いました。


内容はご自分の従兄弟であり本家の寺西さんちに刑部の描いた掛け軸があることから入っていきます。(現在「刑部の描いた秀吉像」の古掛け軸は従兄弟さんから譲り受け、著者の森脇家の所蔵とのこと)
そしてこの本では「湯浅五助、刑部の首隠しました説」を否定。
彼はおとりになり、刑部の甥っ子・祐玄坊が関ヶ原から落ち延びて、その首を比叡山の渓広院に持ちこんだと言うのです。
だから刑部の戒名が「渓広院殿前刑部郷心月白頭大禅定門」なのだと。
そして祐玄はその後吉治と共に大阪夏の陣に参戦しているとも。
ここを読んだ時ある本から仕入れた「刑部三人衆」のネタとあいまって(大谷家報告書参照)わたしの頭の中で「祐玄=ファイティング坊主」のイメージが定着。
この本では夏の陣のあとも生き延びた後の経緯も記されています。(細呂木五郎右衛門となのって隠遁、名を道味(どうまい)と改めるなどなど…)

さらに!大谷吉勝=吉治の子が徳川方の家臣に助けられ、その後家人となり徳川方として冬の陣で夏の陣で、父吉勝の味方する豊臣方と戦ったなんていうショッキングこの上ない事まで書いてあります。


◆東京の国立国会図書館に一冊あるこの資料の閲覧方法を書いておきます。
国立国会図書館のHPに行き、あらかじめ詳細を見ておくとスムーズです。
国会図書館は二十歳以上じゃないと入館できません。
さらに著作権法遵守の複写サービスなので「書いた人の死後50年(←たしか)」たった本でないと全文複写は出来ないのです。半分だけです。この本は…ギリギリ?
20歳以上の誰かと連れ立って行き、半分づつ複写していただくなど…ごにょにょ

真偽は不明ながら魅力的な資料なのでぜひぜひ。

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1-7:メディアの中の大谷刑部


メディアの中にチラ見される大谷刑部について


●戦国ゲーム

昔からの歴史ゲームではもちろんですが
大河ではまった直後には考えられなかったくらいに
青少年向けゲームとかでも結構刑部が顔を出すようになりました。

采配の行方ではイケメン刑部、
戦国BASARAでは悪の刑部(めずらしい!)が出てるという話ですが
ゲーム機どころかテレビもない我が家ではまっこと蚊帳の外の話にござる…

いつか忘れなかったら戦国ランス語りがぽろっとのると思います。
かなり頭を使わないと詰むゲームだったので 実際終盤で詰みましたので
歴史シュミレーション初体験と言い切ってみる。
侵略しないと…駄目なんですね…謙信ちゃんに会えませんでした。



 
●誤植じゃないよ

2akuji.jpg

*色塗りはデタラメです
友人がやっていた大悪司というエロゲ-に登場する謎のマスク男。
多分作った人の中に大谷ファンがいたのでしょう、全身に火傷を負い足も不自由だという設定付きです。エロゲーということで最初はいらん心配をしてましたがただのモブキャラだそうなので色々ホッとしました。

友人宅でガイドブックをみていた時に発見してけっこう動転、「ぎょ、刑部!刑部!?」「刑部っておおたによしつぐっていうんだよね?殺さないで仲間にしたよー。」
ありがとうありがとう!



●バガボンド16巻に
仕事熱心大谷隊登場

「風雲児たち」や「影武者徳川家康」など関ヶ原にそったマンガで刑部に出会うことは多いのですが、剣豪宮本武蔵を描いたマンガ「バガボンド」で思いがけず大谷隊を発見です。
草薙天鬼と佐々木小次郎が浜辺に居た時、見覚えのある旗印をつけた騎馬武者が駆け抜けていくんです。そこで血気逸る若者17歳の天鬼が「戦場につれてって~!イイ仕事するよ~!!」自己アピールするんですが御団子マークつけた彼らは鮮やかにシカトして去って行き…若者さり気なく命を拾う。
これで声掛けが成功してスカウトされたならば、後の関ヶ原で彼は間違いなく金吾軍+寝返り隊にボッコボコにされていたでしょう。

その前か後かに「天下分けめの戦い」とか「この越前と加賀が今闘ってるのは大戦の前の前哨戦」とかなんとかいう台詞がでてくる事から佐々木小次郎や自斎、天鬼が住んでいるここは刑部の領地越前であり(イイナー)刑部が前田利家の息子率いる軍を北陸から動かさないように封じる情報戦、有名な「北陸の戦い」真っ最中だと分かります。
大谷領に住む人々は「〇〇村は何人取られたって!」「この農繁期に人を取られるのはたまんねえなあー」とかしんどそう。






ネットで見つけた大谷刑部抱き枕

ある日ふと思い立って久しぶりに「大谷刑部」を検索してみましたら一番トップに↓

2order.gif


一瞬ファーーーーwwwっとなってよくよくみれば「大谷刑部抱き枕」。
HN大谷刑部さんによる男性向け美少女イラストの抱き枕でした。

ごめんなさい。
期待も興奮も私が勝手にした事です。
しかしなんだろうこのガッカリ感。



2bbs2.jpg

おまけ 衝動買いした大谷Tシャツ

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